◆気になる言葉たち◆短歌と詩と -2ページ目

あとを引く歌(3)

目に追って、それで終わりにできないのはなぜだろう・・・
ここに引用し、さらに考えるきっかけにいたしましょう。


校庭の地ならし用のローラーに座れば世界中が夕焼け


穂村 弘 『ドライ ドライ アイス』






蟷螂の卵

蟷螂の卵かへりてわれら寝る布団の上に進軍やまず

・蟷螂(かまきり)


小島 なおさんに選んでいただき、短歌雑誌の活字になりました。

題は「卵」です。


若い感性に選んでいただき、心の通常とは違う部分が喜んでいるようです。


紙箱のなかに入れていた消しゴムほどの乾燥した茶色の卵から、

千匹ぐらいでしょうか、たくさんの幼虫が行進して広がってゆく景色は

終生忘れないでしょう。


短歌は小さな器ですからしかたありませんが・・・

この一首だけを取り出すと言いたいことが言えていないもどかしさを感じます。


例えば、一首だけでは現在の出来事だと読むのが普通ですが、

実際には遠い昔、私の幼児期のインパクトのある思い出です。







引き込む力(8)・・ かってに奔る水の束

くいしばる歯から洩れねど涙腺をかってに奔る水の束あり


・奔(はし)る

松平盟子 『プラチナ・ブルース』


号泣や慟哭と言えば意味は通じます。
しかしそれでは作者が伝えたいことの多くは伝わらないでしょう。


歯をくしばっているので(表現されていない)声さえもリアルです。
子供が大声で泣いているような声とは違います。


眼目は「涙腺をかってに奔る水の束」です。
さらに言えば「水の束」です。
以前にお話した「名詞の力」のエネルギーがここにもあります。
リアルで説得力のある下句です。

少しオーバー気味かも知れませんが、
そのときの作者の感覚に最も近い言葉を探してきたのでしょう。
しっかりと伝わってきます。


ハンカチでぬぐうような涙ではありません。
流れ出るにまかせている涙です。


一生に一度か二度かの体験でしょうが、実に端的に、鋭く、
そのときの状況・感覚を丹念に呼び戻しながら、
つくりあげたのだろうと推察しています。







引き込む力(8)

この歌になぜ引き込まれるのだろうか・・・

ここに引用して、深掘りする足場にしたいと思います。


くいしばる歯から洩れねど涙腺をかってに奔る水の束あり


・奔(はし)る

松平盟子 『プラチナ・ブルース』


この歌はなぜ引き込む力を持っているのだろうか?

ご意見のある方はコメントをお寄せください。





北原白秋・自身の推敲(1-3)

歌集に組み入れるときに、一度発表した作品を改作することがあります。
どのような考えで作者は改作をしたのでしょうか。


短か日の光つめたき笹の葉に雨さゐさゐと降りいでにけり 北原白秋 『雀の卵』


冬の日の光つめたき笹の葉に雨蕭々とふりいでにけり 北原白秋(原作)


・蕭々(せうせう):風雨・落葉などの音のものさびしいさま


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原作と改作を並べてみました。


なぜ「冬の日」が問題だと認識したのでしょう。
なぜ「さゐさゐ」とし、「降り」と漢字にしたのでしょう。


理由があるはずです。


その違いを感じるとともに、作者の思いを推察してみましょう。
わからない方は、来年またこの記事を読みに来てください。
わずかでも想像できるように成長しているかも知れません。








北原白秋・自身の推敲(1-2)

歌集に組み入れるときに、一度発表した作品を改作することがあります。
どのような考えで作者は改作をしたのでしょうか。


□□□□に相当する箇所に問題があると考えたようです。
そこをどのように改作したのか。考えてみましょう。


□□□□光つめたき笹の葉に雨□□□□□□□□□□けり


冬の日の光つめたき笹の葉に雨蕭々とふりいでにけり 北原白秋(原作)


・蕭々(せうせう):風雨・落葉などの音のものさびしいさま


(つづく)






北原白秋・自身の推敲(1-1)

歌集に組み入れるときに、一度発表した作品を改作することがあります。
どのような考えで作者は改作をしたのでしょうか。


先ず作者は原作のどこが問題だとしたのか。考えてみましょう。


冬の日の光つめたき笹の葉に雨蕭々とふりいでにけり 北原白秋(原作)


・蕭々(せうせう):風雨・落葉などの音のものさびしいさま


(つづく)












あふれてくるもの

胸にあふれてくるものを歌うとき、いつも歌は生彩をおびてくる


(木俣 修)


表現力などの技量以前の、根本的な <関門> でしょう。


<胸にあふれてくるものがあるのかどうか>

<あったのかどうか>


従って、初心者の歌が 「へたうま」 ということもあり得ます。

逆もあります。








小さき天使

死に支度いたせいたせと網膜に小さき天使がときにはみ出る


斉藤斎藤さんに選んでいただき、短歌雑誌の活字になりました。
自由題・新かな表記です。


ここ数年、おりにふれて頭をよぎる、よく知られた一茶の名句から

上五中七を拝借しました。


眼の治療の副作用と思われる飛蚊症が日常的になりましたが、
歌のなかでは「小さき天使」として、受け入れる真似をしてみました。


結句はまだ動きそうですね。 ^ ^ ;














あとを引く歌(2)・・シュールレアリスム(超現実)

いつの日か倖せを山と積みて来る幻の馬車は馭者のない馬車


この歌には語句の重複や調べなどに問題があると思うが、

なぜか「あとを引く」のである。
わかりそうでわからない、微妙な謎があとを引くポイントだと思われる。


四句まではすんなり来て、問題は結句である。
なぜ「馭者のない」馬車なのか・・・?
伏線として「幻」の一文字があるので、ある程度の予感はできるが、
なぜ「馭者のない」馬車なのか・・・?


頭は空回りをはじめる。


効果的に歌を飛躍させ、そしてそれを多くの読者に理解してもらうのは

なかなかに難しい。
謎がすっきりと解けることは恐らくないだろうし、短歌にはその必要もない。
謎の5%ほどでも感覚的に伝わるならば、

それは縁のある歌なのではあるまいか。